sisiruirui

基本的にVtuberについていろいろ考えている。にじさんじが主。Twitterの内容をまとめるよう

御曹司ってすごいよね。

ぽんぽこ24hの合間に書く。これは自己陶酔低め。自己満足型。読まないでいいぞ。

あと例にならって話題はそれまくる。主題は卯月コウってすごいよね。である。

御曹司とはにじさんじseeds一期生所属の卯月コウの愛称である。

主観がっつりバイアスガンガンだけれどあくまで僕の考えであることを理解してほしい。相変わらずがばがば文章構成である。

月ノ美兎の系譜とリアルタイム性

にじさんじには、月ノ美兎の系譜(勝手に呼んでいる)が存在している。二期生では剣持刀也、鈴鹿詩子を指し、seedsでは卯月コウのことを指す。月ノ美兎に多大な影響を受けて業界に参入したライバーだと自分は定義づけている。

この4人は共通してリアルタイム性がとても強いライバーである。彼らは皆コメントとの親和性がとても高く、そのうえで自分たちの確立した個の意志を保有している。

リアルタイム性の強さというのは、コメント拾いではなくコメントと対話をしているという点である。(コメント拾いを乏しているわけではない)特に御曹司はそれが顕著で初期のころは、「俺12時まで実力テストだから配信時間ずらしてくれ」というようなコメを拾い、実際に次の配信時間を後ろにずらしたりしていた。またコミケ待機列実況配信、にじそうさく待機列待機配信、といったようにリアルタイムで起きている事象と配信を絡めていたりもしている。所謂一体感を感じることができる配信なのだ。

御曹司とエモ、発想力

これは卯月コウを語る際には必修科目である。

彼は配信に際してエモという言葉を多く発している。seeds24hの「エモい選手権」でも軽く触れていたが、エモを語る際に「エモを提供してくれるのがリスナーさん、それを変換して還元する」というようなことを念頭に置き、配信している。そう自称するだけあって彼はエモの言語化、自身の抱いた感情をアウトプットするという能力が非常に高い。それを一番体感できるのはやはり、卯月軍団、エモグランプリ - YouTubeだと思う。自身の感情を他人に伝えるという行為はとても難しいものだと考えているのでそれができる彼をとても尊敬している。日常の些細なことに幸せを見つけることができる人間は多数いるが、日常の些細なことにエモを見出せる人間は数少ないと思う。

また彼の発想力も話さなければいけない。直近では切り抜きになるが、

名取さなの「ビョッブボッビュ病院で!?」にmihimaru GTを見出した御曹司 - ニコニコ動画 がある。他にもマシュマロ配信の際にリスナーから送られてきたマシュマロに対して、それをかみ砕いたうえでそこに自分のエモ、妄想を上乗せして還元してくれるのだ。

 

僕の感情を言葉にする能力が低いからこんなうすっぺらいことしか書けないが、彼の配信を見ればおそらく理解できるだろうから是非切り抜きでもいいから一度見てみてほしい。(できれば本配信を見てほしい)

卯月コウの最大の特徴と彼のいくつかの魅力

彼の最大の特徴は、やはりリスナーとの距離関係にあると思っている。基本的にvtuber(や現実世界のアイドルなども)は、ファンを個として認知せずに群として認知する。それによりファンとの距離を保ち、自身のコンテンツとしての寿命を縮めないでいるのだ。特別な存在を作るという行為はファン様(笑)からとても反感を買い、アンチ様にとっても良い火種を与える原因にもなりえる(これほんとに死ぬほどあほらしい文化としか僕は思えない。)名誉彼氏という存在を認知し、まんじゅうニキや白薔薇ニキなどの一部リスナーを認知している叶(にじさんじゲーマーズ所属)ですら、距離が近づくような行為をしたら、できる限り距離をもとに戻す行為を取っている。

しかし御曹司は、古参ファン、センスのあるコメントを残したものなどの名前を積極的に読み上げ、卯月軍団(彼のリスナーの総称)の内部に適当な幹部職を作り出しそこにぶち込み、たびたびそれ以降の配信でも名前を挙げている。

彼はファンとの距離が近すぎる。というよりは、彼の立っている位置が舞台のようなステージではなく、観客席内に設置された仮設ステージなんだと思っている。立ち位置がそもそもほかのVtuberとは違うのだ。それが許される理由には、彼の「アイドル性の欠如」という点があると思う。魅力がないというわけではなく、まぁ彼の配信を追ってみればわかるが、偶像的で手の届かない存在にいるからリスナーが勝手に生み出してしまうアイドル的レッテルを彼は貼られないのだ。にじさんじ内(にじさんじSEEDs一期生まで)でこのレッテルが貼られていないのはおそらく現状彼だけだと思っている。しかし一方で彼は明確なカリスマ性を保有している。SEEDs内での人気や、先のVtuber有識者会議でも話題に上がり、また彼にアイドル的幻想を抱かずに彼を慕っているリスナーが多数存在している。いうなればクラス内での陰キャのリーダー格といった感じだ。アイドル感もなにもないがその層からはなぜかとても好かれるのだ。現に彼の配信は(特に)所謂陰キャ、オタク向けに構成されている。エ口(えぐち)ゲーについて語る配信であったり、自身の妄想を只々吐き出す配信をしたり、今夏に発売されたkey作品の最新作の(プレリリース版)の実況をわざわざ許可を取ってまでやる。などオタクの中でも少し深い部類に入る配信をしている。その上同会社の先輩である剣持刀也と伏見ガクのカップリング(カツカレー)について触れ、剣持刀也の事を嬉々としてエロいとの語るのである(卯月コウはホモではない)。それだけだと只のギャルゲー好きのホモ野郎で終わってしまうのだが、ここに前述した「エモ」と卯月コウの魂の偏ったEDU、台詞回しそれと発言スタンス(仮定)が混じり合い、彼を只のギャルゲー(略)ではなくしているのだ。個人的には最後の発言スタンスが彼の魅力にブーストをかけていると思う。彼は基本的にdisという行為をしない。そしてコラボ中に居ない相手のdisになりそうな時はそれを止めているのである。プロレスですら彼は不得意なのだ。当たり前やんって思うかもしれないが、アイドル性を取らない、しかも男性Vtuberならば、これは圧倒的にマイナスな点になる。(現状男性Vtuberの市場はまだ女性Vtuberに比べると小さいから)剣持刀也と伏見ガクを例に挙げてみよう。

剣持刀也は根っからのプロレス型でその中にアイドル性を内包している。一方伏見ガクは基本的にはアイドル型で一部相手(剣持、夕陽リリなど)とかかわる際にはプロレス型を発病する。男性Vtuberは伸びるのが難しい中で必須ともいえるスキルをどちらも持たずに自分の持つ面白さを最大限に発揮でき、リスナーを獲得しているというのは中々できることではなく、それゆえにそれは希少価値の高い彼の魅力の一つだと思っている。

一方で御曹司には、その純粋さゆえにデメリットになりうる点がある。

彼は基本的に配信中に思ったことをすぐに口に出してしまうのだ。大体それはプラス方向の内容であり何かを誉める際や反省点を述べる際に出てくるものなのでソロ配信ではほとんど問題はない。しかしコラボになると話は別である。ポッと口に出すので相手の話をさえぎってしまうことが多々あるのだ。中学生らしいといえばそうだが、これは横のつながりを得ようと動く際に大きなデメリットになる。今はまだseeds内でのコラボがほとんどであるから大丈夫だが、これからもし外でのコラボが増えるのであれば話をさえぎってしまう。というのはいくらそのあとに面白いことを言ったとしても相手方のリスナーから多かれ少なかれヘイトを買ってしまう。そうなると次につなげにくくなるのだ。これは初回OD組コラボ配信で出雲霞にも注意されている。

剣持刀也は月ノ美兎を、「飾らないのに光り輝く、規格外の等身大」と言っていたが、この言葉を借りると、「飾らないのに光り輝く、規格内の等身大」であると思う。彼は本当に隣にいる感覚を植え付けてくれる。というよりはクラス内にある卯月軍団という小さなグループの一人になった気分になれるのだ。彼は登録者数こそ2万いて、大きな軍団を持っているが、僕の中では彼の作り出す空間はクラス内にある集団なのだ。大人数で共有する小さな世界を構築できるその能力が彼の最大の魅力だと思っている。

おなえどし組

話は御曹司からそれて御曹司のユニットについて話そうと思う。実質おまけ。

OD組(通称おなえどし組)は、にじさんじseedsに所属している卯月コウ、出雲霞、鈴木勝の同い年3人が組んだユニットである(卯月コウはこのユニットの為に年齢が一歳低くなった)

彼らは実際にコラボは3回しかしていないが、おなえどし~最後の夏休み~という動画や、twitter上での絡みを多く見ることができる。

ユニットの一人である鈴木勝の配信は、完全劇場型配信でありOBSの使用に長けていてにじさんじseeds24hのおなえどしの放送においてもその力をいかんなく発揮した。彼は基本的に卯月コウとキャンキャン吠え合っている。

もう一人の出雲霞は、多重人格という独自設定を持っており(設定がすごい(夕やすみをみろ))配信内容もゆったりとしている。また朝、昼、夕方、夜など配信時間帯も多岐にわたっている。彼女は上二人をなだめるお姉さん的立ち位置にいて、よくおねショタと揶揄されている。

そんな3人のユニット、OD組を僕はとても推している。

彼らの特徴は世界観の共有にあると思っている。トリガーのようにエモい設定があるわけでもなく、かえみとのようにCPでもないが、彼らにはお互いが守るべき世界を共通意思で持っているのだ。一人は御曹司で一人は中二病、もう一人は眠たがりの女の子、それぞれ違う中学校に通っているがとても仲のいい3人組。というふんわりとしたものだ。しかしそこを強く意識してその設定の中で、彼らはコラボ、Twitterでの会話をしているのだ。

そんなおなえどし組の関係性がよくわかるのがこの動画である。

t.co

15分ほどの動画だからぜひ見てくれ。

 

<OD組>追記

理解が甘かった。おなえどし組は、ふんわりとした世界観の共有なんてちゃちな表現をしてはいけなった。出雲霞の「夕やスミ」然り、勝くんの劇場型配信、「夏祭り」

霞ちゃんの多重人格設定も、勝くんのダークネスイーターも、キャラ付の為の設定じゃなくて、両人が持っている秘密なのか。2434システムとは。霞ちゃん、勝くんの本体は今どうなっているのか。夏祭りにきた二人は誰なのか。御曹司はどう絡んでくるのか。

僕はまだおなえどし組について知らなさすぎる。これからきちんと追いかけなければ....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Vtuberファン(くそでか主語)の特異性

Vtuberの中の人についての話。あとツイッターに挙げている自己陶酔文章の延長線みたいな感じだからまじで読まないでいいぞ。あとにじさんじバイアスがすごい。

事前情報として相手方も別の沼に沈んでいるオタクっていう点がある。
そこも解釈というか考え方に違いを持たせる要因だと思っている。

輝夜月の中の人が○○さんではないのか。っていう話を振られて若干の戸惑いと憤怒の気持ちを持ったが、その時の自分の思考が「中の人について言及することがマナー違反であることをなぜわからないのか」という安直なもので、これはよくよく考えると相手方からするとなにも変な質問ではないんだな。っていう考えに至った。

相手側の生きる界隈は主にアニメ(ゲーム)で、声優が公開されたうえでキャラクターを知る(逆も然り)から、声優が誰なのか。っていう疑問は当然のものでこちらの思考を知らないのは当たり前だった。

Vtuberとアニメキャラの共通点についてあげると、メタ的な発言が入るが

・中の人がいる

・現実に存在しない

の二点が大きなものだと考えている。

だがその共通点を掘り下げると、Vtuberとアニメキャラの相違点になるとも考えている。

まず「中の人がいる」という点

アニメキャラはCV○○のように中の人を隠すという動作をせずにいる。これはキャラ側に元々設定、性格、好み、などがあり、その上台本の用意もあり感情も用意されていて一つの人格として完結しているから中の人がそこに干渉する余地がない、「人格乖離型」に相当するものだから隠す必要がないのだと自分は考えている。

 

一方でVtuberは中の人を隠す。中の人というワードを「魂」と呼び変えお茶を濁している。その理由も多岐にわたっている。

キズナアイ輝夜月などを対象に話すと、彼女たちも一応は「人格乖離型」に含まれる。(ミライアカリ、シロも同様)それでも魂と形容される理由は、台本の密度とキャラクターと魂の関係性にある。彼女たちは魂が死んでも次のキズナアイが出てくることができるのである。それこそドラえもんの声優が変わるように、中の人が変わるのである。

例えばキズナアイは、自分のことを「インテリジェントなスーパーAI」と呼んでいるようにあくまでActiv8株式会社に開発されたAIであり、中の人など存在しないのである。と謳っている。そもそも魂というワードは彼女のその「AIであり中の人はいない」という考えを尊重するために生まれたようなものである。しかしメタ的にいうとそれもあくまで設定であり事実ではない。また、彼女は主に動画での活動をしているがそこに完全に定められた台本があるかといったらノーである。特にゲーム実況についてはそれが顕著で、某バイオハザード7の実況では突発的にF○ckなどとのたまっており、キズナアイの魂自身の感想がキズナアイを通して伝えられている。おそらくあるのは大まかな発言指針だけで、用意されたセリフなんてものはないのである。この点を考えると個人的にはVtuberとアニメキャラを比較する。という点が間違っている気がしなくもない。どちらかというと比較すべきは声優とVtuberだと思っている。

本題に戻ると、これが台本の密度と中の人とキャラの関係性である。

もう一つは「人格依存型」と呼ばれる種である。

これには月ノ美兎(を筆頭ににじさんじの大部分)などが該当する。彼女たちにも一応は設定が存在している。例えば月ノ美兎の設定は、

高校二年生。性格はツンデレだが根は真面目な学級委員。本人は頑張っているが少し空回り気味で、よく発言した後で言いすぎたかもと落ち込んだりする。

https://www.ichikara.co.jp/official )

だ。だがそんなことは一切ない上に初期のころ設定に入っていたはずの「清楚である」という文章は消されている。設定が魂によって捻じ曲げられたのである。またほかにも彼女たちはもとは設定されていなかったはずの「身長」を配信内で自称であれど公開することによって、それを設定に昇華させているのである。

少し話題が横道に入ったので本題に戻る。

配信をみればわかるが彼女に脚本などは基本的に存在しない。キズナアイらと違い彼女は生放送での雑談を中心に活動しているから当たり前ではあるが、そこで新に予期していない設定が魂が原因で生えてしまうのである。少しマイナスなことを言うと、あの魂が入っていない状態の月ノ美兎が生み出すものは限りなくゼロに近いのである。どこかの区切りでにじさんじライバーの魂が他のものと変わったとしよう(前魂とスペックは同等レベルのものとする)。その場合起きるのはいちからの倒産だと考えている。ドラえもんサザエさんの声優が総とっかえしたとしても終わることはないが、にじさんじの場合は終わるのである。それが「人格依存型」といわれる所以である。魂からもたらされるものの量は尋常ではないが、ガワからもたらされるものはそれに比べると微々たるものなのである。ここまでを前提とした上で彼女たちは「中の人はいない」と言うのだ。魂が経験した話をキャラを通して語ったり、魂の思考回路を優先し設定を捨てたりしている彼女たちでさえ中の人の存在はないものとしている。(一方で樋口楓は、楓と美兎~夏休み~において第二のでろーんという話題に触れている。)

人格依存型はキャラと魂の関係が、キャラ≦魂になっているのである。一方で人格乖離型はキャラ≧魂になっている。

ここがアニメキャラとの最大の違いだと考える。まずアニメキャラは、キャラと中の人が等符号etcで結ばれるということ自体がないのである。キャラに対して中の人が何かを発信することがなければ逆もまた然りという感じだ。

 

次は、現実世界に存在しない。という点

これはまぁアニメキャラに対しては当然のことなので割愛する。

ここがタイトルにもあるVtuberの最大の特異性だと思っている。というよりは(主語が大きくなるが)Vtuberファンの特異性である。

 

まずはキズナアイ等のAI、電脳少女を名乗る面々について語ろう。

彼女たちは僕らのいる現実空間には存在していないが現実世界の電脳空間に存在しているのだ。そのためOculusをはじめとするVR機器、配信機材の存在を徹底的に隠そうとしている。そして僕らとは違うその世界で学校に通ったり、ゲームをしたりしている。これは下記の面々と違い確立が容易である。そもそもオフラインコラボなんというものは存在せずに、彼女たちにとってコラボ=オフライン(但しネットの世界)なのである。実際に会うのはあくまで電脳空間であり、対面するのもキズナアイ本人なのだ。だからふるまう必要もないのだ。

次はその特異性が特にわかりやすいにじさんじを例にあげて話す。

僕は彼女たちが確かに存在すると信じている。おそらく他の多くの面々もそう信じているだろう。いうならば集団幻覚を見ようとしているのである。例えば月ノ美兎と樋口楓のオフラインコラボや、剣持刀也と伏見ガクのオフラインコラボは僕らの脳内では実際にこの世界のどこかで彼女らがキャラの絵そのままの姿で動いている様子が投影されているのである。そして彼女たちもあくまでそのキャラで存在しているかのようにふるまっているのである。そう考えると不等号の向きは変わらないが人格依存型はキャラ依存型と併発するものなのではないだろうか。僕らは現実に存在するはずもない彼女たちを現実に存在していると思い込み、彼女らは彼女たちが現実で生活しているようにふるまうという二方向からの働きかけで、存在を強調しているのだ。楓と美兎配信を例に挙げると、呼び方が存在をより強固にしているのだと思う。彼女たちは実際に対面し、画面のガワ越しではなく魂と向き合って会話をしているのだが(当然のことだが)「楓ちゃん」「美兎ちゃん」と呼び合うのである。それによって僕らはいつも画面越しに会話をしていた樋口楓と月ノ美兎が現実世界のどこかで出会ったというバイアスを(自ら)かけるのである。また、配信機材の存在というのも大きい。大体のVtuberはアプリや配信機材を隠そうとする。がにじさんじはそれとは大きく異なり、それぞれのキャラが配信を始める理由が存在しており、にじさんじが配信に使用している機材は基本的にiphone10でそれを彼らはストーリー(前設定)の中で拾ったり与えられたりしているのだ。それにより得られる効果は、液晶越しに存在しているのがキャラクターである。というものである。それもまた一段と存在の証明に影響していると考えている。

終わり。

落ちはない。